進化する叡智 〜「古代の叡智」や「人類」が進化する理由①

オリエント占星術では、
特定の人物や、宗教、書物(文献)

西洋占星術を含む、歴史的な解釈に
「依存しない」ということを
主軸にお伝えしているのですが

それはまさに、そういった
「叡智」すらも
「進化する」
という概念があるからです。

例えば、イエスの教え(聖書)にしても、
仏陀の教えにしても、

必ず、受け取るもの(人)や時代の世界観、解釈(自我や認識の成熟度)等が反映されており

※「聖書」は、当時の弟子達が伝えたもの

仮に、「師(聖人)」と呼ばれるものが
直接記した書物(叡智)であっても
「進化的解釈」が生まれていくもの
と、認識しているからなのでした。

アトランティス人トートも、時代に合わせて3回転生している、といったことがエメラルドタブレットにも書かれていますが

(特に、ヘルメス文書などが生まれたギリシャ時代は、物質性へ埋没した時代)

根源的な叡智は、
“ひとつ”でありながら、
“ひとつ”ではなく

これは、受け取る側である
私達の意識(=個体意識)や時代が
進化(変化)していくから
であり

表現そのものが「多様化」するように、
この世界ができているからなのです。

それは、「フラワーオブライフ」の世界観であり、「西洋占星術」や、
サビアンシンボルの再解釈をしている理由でもあります。

神智学(人智学)で有名なルドルフ・シュタイナーも、人類や宇宙の進化について、以下のような言葉を残しています。

“宇宙進化についての教えは、エジプトにも、カルデアにも、インドにも存在していました。

それを唯一のもの
と思い込む人は、

「いたるところに、さまざまな形で探究された、一つの叡智を私たちは見出す。叡智は一つであり、どこでも同じ叡智なのだ」というかもしれません。

このような抽象的な主張に反対する理由はありません。

事実その通りなのです。
けれども、それは真理の一部にすぎない、といわねばなりません。

植物は根から果実にいたるまで、つねに同じ器官を生み出しはしません。緑の葉、色とりどりの花びら、雄、雌などに形態を変化させながら、上方に向かっていきます。

地上における人間の進化も同様です。

同じ一つの叡智がさまざまな形で現われるというのも真理ですが、この叡智は進化していく、というのも真理です。


今日あるような叡智がすでに太古のインドにあった、と考えるのは正しくありません。植物を見て、根も花も同じだ、というのが正しくないのと同様です。”

-「西洋の光の中の東洋(ルドルフ・シュタイナー)」より引用 –

以上の記述は、さまざまな「宗教」や「叡智」が、唯一の「根源的叡智」の変化にすぎない、とする神秘的世界観の主張に対して記されたものです。

一つである源、叡智でありながら、
進化していくもの
、という
一見、矛盾するように見える理論ですが

シュタイナーも指摘している通り
もしも、「すべては一つ、我々はすでに完璧なのだ」という側面にのみ、フォーカスするならば

人間はなぜ生まれたのか?
なぜ輪廻転生があるのか?

ということに対する
「明確な答え(認識)」
を得ることができず

人間という「生(現実・プロセス)」を
否定したり、

現実と思想(理想)のギャップにより、「行き詰まり(不一致)」や「意識(人生)の進化における停滞(ゆえに、転じるための機会)」が生じるようになります。

「輪廻転生も現実も、全ては幻想であり、意味はない」、あるいは、私達は「源に回帰するのみ(だけ)」といった考え

いわゆる「虚無主義」的な考えも、
この「東洋思想」「神秘主義」における
偏り(盲点)
から、生まれるものです。

上記の「私は既に完璧である」という考え(理想論)は、「スピリチュアル」に多い思想で、ある側面(次元)から観ると確かにそうなのですが、「享楽主義(肉体の楽・魔法ばかりを求める、実態の伴わない覚醒幻想など)」に偏りやすく、時間の経過とともに「行き詰まり(停滞・闇堕ち)」が生まれたりするのは、「(ある次元では)完全な存在でありながらも、個体としてはプロセスの最中を歩んでいる」という二重性への盲点(認識・受容の欠如)が存在しているからです。

また、シュタイナーは、輪廻転生の意味について、以下のように言及しています。

“人間は何度も地上に受肉して同じことを見聞きするのだと思っている人は、真剣に輪廻転生を信じてはいないのです。

真剣に輪廻転生を信じるとは、輪廻転生の目標と意味を洞見することです。

人間はいたずらに何度も繰り返し地上に受肉するのではなく、地上に再受肉するたびに、新しいなにかを経験していくのです。そのために、地球には常に新たな生命が与えられなければなりません。

そして、地上に受肉するたびに、人間は新しいなにかを見なければなりません。”

-「西洋の光の中の東洋(ルドルフ・シュタイナー)」より引用 –

オリエント占星術や講座等においても

「魂と肉体の二元論」
的な表現をしていますが

それは、まさに、輪廻転生を通じて、
人間(地上における“私”)は
進化(融合)していくもの

というビジョンを共有しているからです。

シュタイナーやエメラルドタブレット、オリエント占星術は同様のビジョンを持っています

そもそも未完成・未成熟な
“私(個体・人間)”というものが
この物理次元世界に生まれなければ
「進化」という概念もなく

この世界に生まれることが、

意味を持つこともないのですが

命ある今、あらゆる経験を肯定し、
進化しゆくとき、人は、
生きることに「希望(喜び)」が持てます

自らの生に対する、方向性と意味を見出し
「進化(學び・プロセス)」という喜びに、
生きることができます

これは、釈迦が伝えた「原始仏教」に対して、空海さんが伝えていたことの
「本質(神髄)」でもあると感じています

魂や源(宇宙・太陽意識)を
地上で体現していくプロセスを

“私”の存在する現在地(地上)から、
未知の経験、學び(気づき)を通じて
それぞれの「進化」を創造していく

それが、「人間」として生まれてきた意味であり、魂の喜びを生きる、
ということなのかもしれません。

内容が多くなり過ぎてしまうので、
次回に続きたいと思います☆

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